人は、その人が使っている言葉で成り立っている。そう言われることがあります。ぼくもそう思います。ネガティブな言葉を使う人がネガティブな発想になるのは超わかりやすいですが、問題はそこじゃない。自分が使っている言葉によって知らず知らずのうちに、思考が制限されたり、ネガティブな方に持って行かれたりすることがあります。それが怖いんです。
人生には目標が必要だ、目標を持て、「何だおまえ、目標も持ってないのか?」など言われたりしますね。さも目標を持てばすべて解決するみたいなイメージがありますが、本当にそうでしょうか?
ぼくはそう思ってないです。目標を持つことで自分がやる(べき)ことが明確になることは確かかなと感じます。でも、人から力を奪っていく目標もあると思うんです。
それは何かというと、できてないことを常に意識してしまうような目標です。そして「私これができてないからダメなんだ」と思ってしまうような目標です。例えば医者の家系とか弁護士の家系がありますね。代々お医者さん代々弁護士さんで続いている家があります。そこに生まれた人たちはお前も将来医者になるんだ、お前も将来弁護士になるなって言われることも何かありそうですよね。
そして、本人もそのつもりで医者になりたい、弁護士になりたいと感じるかもしれません。でも、すんなりいかなかったとき、その医者になる弁護士になるという目標は本人から力を奪っていくものになりかねません。
例えば医学部の受験に失敗したとき、自分は劣っている人間だと思ってしまうかもしれない。次は絶対に失敗できないというさらに大きな重圧を抱えて、つぶれちゃうかもしれません。要は自分が目標としているものに到達していないことを強く自覚して、自分がダメな人間だと思ってしまう。そういう類の目標があると思うんです。
人からの評価を気にしなければいい?
人からの評価を気にするからそうなるんだと、と言われます。でもそうとも限りません。自分の夢をかなえたいけど全然かなわない、前進している感じがしないという場合、やる気をなくしてイラついたり、投げ出したりします。ダイエットしてモデル体型になりたいと頑張っていても、成果を実感できないと、逆に苦しくなりますよね。目標を設定することで、かえってそこに至っていない自分を毎日自覚することになり、それがマイナスの感情を生みます。そしてエネルギーを奪っていきます。
目標があってもいいです。でも目標は必須じゃないと思います。たとえば、第一線で活躍しているスポーツ選手は、みんな今の実績を目標にしていたのでしょうか?
NBAの八村塁選手がいます。彼は高校時代、インターハイを3連覇しました。優勝後の彼のインタビューはバスケ界で有名らしいです。試合後のインタビューで今の気持ちを聞かれると彼が答えたのは、
1年目のコメント「バスケは楽しいです!」
2年目のコメント「バスケはすっごい楽しいです!」
3年目のコメント「バスケはすっごいすっごい楽しいです!」
だったそうです。そうなんです、楽しんでるんです。楽しんだ結果、いまの彼がいるんだと思います。これを「バスケで高校のチャンピオンになりたい」を目標として捉えてきたら表現は違っていたと思います。「楽しい」ではなく、「ほっとしました」「やっと実現できました」みたいな言葉になったんじゃないでしょうか。
世間一般から見て、目標を達成しているように見える人には2種類いると思います。ひとつが、目標を定めそこをずっと見続けてたどり着いた人。ふたつめが、自分が日々楽しんでいたら、いつの間にかうまくなって、いつの間にかその場所まで来ていた人。
どっちが結果的に高いところまで行けるか。ベジータ vs 悟空 だと考えれば、答えは悟空ですね。ドラゴンボールネタはさておき、目標達成が義務のようになってしまったら苦しくなります。だって、達成することが義務で、それまでは常にマイナスなわけですからね。
学生の頃、好きな子ができたら毎日楽しくなりましたよね
たとえば、好きな子ができて、その子と付き合いたいと思ったとします。最初は「付き合ってない状態」からスタートするわけですから、「目標未達成」の状態です。付き合ってないですけど、毎日が楽しくなったりしましたよね。目標がクリアされてないのに、「もしかしたら付き合えるかも」という超希望的観測だけで、毎日がバラ色になってましたよね笑
同じ「目標」でも、この場合は日々が楽しい。楽しいイメージを持ちながらそれを積み上げていくことで、最終的に「目標」に近づいていく。こっちの方がよくないですか? これだったら、目標未達の状態すら楽しいです。
何が違うかといえば、目標の種類です。
義務感を覚えてしまうような目標は、「~になりたい」からきている。
未達成のでも毎日楽しくなるような目標は、「~したい」からきている。
この違いがあります。
弁護士になりたい、医者になりたい、お金持ちになりたいという目標は、「それを達成したらようやく安心できる」「目標をクリアできるかどうかが不安」という感覚になります。「なる」ことが目標なので、それまではずっと「なっていない」わけですし、そしてやがて「ならなきゃいけない」「なれなかったらどうしよう」という恐怖に変わります。恐怖になっちゃったら、逃げたくなります。そしてエネルギーが奪われていくんです。
一方で、未達成でもそれを考えると楽しくなるような目標は「したいこと」をイメージしています。その子と一緒に学校から帰りたい、毎晩その子にLINEしたい、その子とディズニーランドに行きたい、など。したいことをイメージしていると、妄想が膨らみます。そして妄想をしていると楽しくなります。
どうなりたい? ではなく、何をしたい?
「大人になったら何になりたい?」
ぼくらはそう子供に問いかけます。でもその質問は変えた方がいい。質問を変えて「大人になったら何をしたい?」と聞けば、いろんな「したいこと」を思い浮かべられます。そしていろんな夢(妄想)を持つことができます。
そして、「将来○○をしたいから、今日はこの練習をする」と考えられるようになる。目標は「~になりたい」ではなく、「~したい」から発想した方がいい。そうすれば常に自分に力を与えてくれる妄想を見ることができます。
同じようなものでも、その人に活力を与えるものもあれば、逆に奪うものもあります。言葉の使い方を変えるだけで、見える世界は変わっていきますね。
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