ぼくは自他ともに認める定義フェチです。よく言えば言語化が得意、悪く言えばスーパー理屈っぽいという感じでしょうか。

でも、理屈っぽいと言われようが何を言われようが、そこはこだわり続けたいんです。というのは、定義がぼくらの考え方を方向付けると思っているからです。定義の仕方によって物事の捉え方や考え方が大きく変わってくると思っています。

たとえば、日本人は、仕事の反対を[休み]と捉えます。ヨーロッパ人は、仕事の反対を[遊び]と捉える。仕事の反対は? と聞かれて思い浮かべるものが違うわけですね。

日本人は仕事していない時は休んでいます。つまり、大切な[仕事]に備えているわけです。一方でヨーロッパ人は、仕事の反対は[遊び]なので、仕事がないときは「よし、遊ぼう!」と考えるようになり、遊ぶために働くようになる。そして休暇もバッチリ取る。だって遊ぶために仕事してるんだから。

かくいうぼくも独立してからほとんど遊んでなかったと思う。それは仕事が好きだったからでもあるけど、遊ぶってことを知らなかったことが大きいです。そしてその根本原因は、仕事の反対を「休み」と表現していることにあると思うんですよ。

仕事の反対は?

日本では、仕事がない日のことを「休みの日」といいますね。だから仕事がない日は休むという頭になるわけです。夏の長期休暇ですら、「夏休み」っています。子供時代からの名残でそう呼んでいるだけかもしれないけど、欧米人と比較すると日本人の思考がより「特殊」であることがわかります。

欧米人は長期休暇を「バケーション」といいますね。そうなんです、休みじゃなくてバケーションなんですよ。だからバケーションしに行くし、バケーションに必要な日数をとる。日本はだいたい1週間だけど、ヨーロッパは1カ月とか余裕でとりますね。

仕事がない日のことを「バケーションの日」って表現するようにしたら、ぼくらの生活は変わるんじゃないかな。休みの日といわれると休むことをメインに考えるけど、「バケーションの日」って言ったら、バケーションするようになる。少なくとも昼間で寝てて、見たくもないテレビをずっと見る生活は変わるはず。

それくらい言葉の使い方ってぼくらの考え方や行動を決めちゃうと思うんです。


それともう一つ。ビジネスの顧客のことを「ターゲット」と言うことがあるけど、あれもやめた方がいいと思っています。考えてみたらターゲットは「的」なんですよね。相手を「的」と見たら、的としてとらえるようになり、的として扱うようになります。

「射止める相手」という意味で使うのはいいと思う。エンジェルとかキューピットが持っているかわいい弓矢みたいなイメージですね。でも、そうじゃない意味で「ターゲット」と言っている人が多い気がする。ゴルゴ13的な意味で使っているケースが多い気がします。

要は、射止めるのではなく、仕留める感じ。そして仕留めたらその仕事は終わりで、すぐ次の「ターゲット」を探しに行きます。

キューピットは射止める瞬間ではなく、その後を見ている。その後、相手といい関係を築いて、相手に喜んでもらうことを考えている。一方で、ゴルゴ13は仕留めたら終わり。仕留めることが目的。要は買わせることが目的になる。

ビジネスは本来、相手を喜ばせるためのもののはずです。誰に喜んでもらえるかを考えて、その人に買ってもらうのがビジネスです。でも、相手を「ターゲット」と表現すると、「自分が一方的に仕留めたい相手」になりますね。相手の気持ちを考えることもしなくなりますね。

もともとは、お客さんのために・世の中のためにと思っていても、「ターゲット」を考えるうちに、考え方が曲がってきます。そして、いつの間にか自分が仕留めやすい人を探すようになっちゃいます

売ることが目的・売ったら終わりという企業は「ゴルゴ」です。お客さんのハートをズキュンズキュン射抜く、キューピットみたいなビジネスを増やしていきたいですね。

そしてそのためには、言葉の使い方から変えていくことが大事だと思うです。皆さんはどうお感じになりますか?