みんな病気にはなりたくない。痛いのは嫌だ。

それはそうです。でもそれはすべての病原菌を接しないように、排除して生きていく方がいいということじゃない。もし無菌状態で20歳まで育った人がいたら、外の世界に出た瞬間、様々な病気にかかっちゃうでしょう。もしかしたら死んじゃうかもしれない。不慣れなものには弱いですからね。

ぼくらは免疫をつけながら、その病原体に対応しながら強くなっているわけですよね。無菌状態で育っちゃったら、その中にいる間はたしかに病気しないと思うけど、外に出た瞬間アウトです。自分の住む場所は無菌エリアに限定されちゃいます。

そしてこれは「社会の病原体」も同じだと思う。

残念ながら社会には差別や不条理がたくさんあるし、おそらくこれがなくなることはないでしょう。もちろん、強烈に悪性が強いものは排除されるだろうし、してもらわないと困る。でも、それでも比較的弱い病原体は残り続ける。

ぼくら個人が考えなきゃいけないのは、その病原体を排除することではなく、免疫をつける事なんじゃないかなと思うんです。

社会から「不条理」がなくなることはありません。残念ながらイジメもなくならないでしょう。もちろんなくなってほしいけど、おそらくなくならない。であれば、そこを避けて「無菌の部屋」に入るのではなく、経験してなれることの方が大事。

世の中に「変な人」はたくさんいます。初めてその「変な人」に出くわしたときは、こっちが悔しい思いをしたり、泣きを見たりします。
でも慣れてくれば、「また来たか」という感じで比較的余裕をもって対処できます。免疫ができるわけですね。

世の中をよくしていくことは大事です。でも、世の中に(自分にとって)悪い部分があるからと言って、それを言い訳にはできません。

ぼくが大好きなマンガ『カイジ』の中に、名言があります。

たとえどんなに……
不運…不幸…
不ヅキに見舞われようと…
オレは決して諦めない……!

捩じ伏せる……..!

最悪の運命….
境遇….ありとあらゆる障害……
不平…不正…

すべてを捩じ伏せ……..
オレは勝つ……..!

『賭博破戒録カイジ』第127話より

カイジほど強くはなれないかもしれませんが、考え方としてはすごく大事です。

差別があるから仕事がうまくいかないとか、一部の人たちが既得権益を握っているからとか、私は学歴がないからとか、言うのは簡単ですが、言っているだけでは何もハッピーになりませんね。

少しずつ社会の病原体に免疫をつけて、慣れていった方がいいです。そしてその「悪い環境」の中でもやりたいことができるようになった方がいいですね。