自由な生き方をしたいという人はいますが、どうすればその「自由な生き方」ができるのでしょうか。多くの人はお金が大事だと思っていますね。でも、お金があっても自由な生き方はできません。

今朝ある本を読んで改めて自由について考えてみました。

自由になりたい。
自由に生きている人に憧れる。
自由になれた気がした15の夜。

いろんな表現がありますが、それらのほとんどが「自由は外から与えられるもの」としていることに気づきます。つまり、ぼくらは自由をある種の「環境」や「特権」だと思っているわけですね。

確かにその側面もあるかもしれません。ただ、自由という言葉を作った福沢諭吉の意図は違ったようです。福沢諭吉は、freedom ( liberty ) を「自らをもって由となす」として「自由」と訳したそうです。「自らを、由とする」ということで、つまり、自分の意志や考えを行動の理由にすることです。その状態が「自由」ということです。

こう考えると、自由は他人に与えられるものではなくなります。自分の意思を理由に行動することが「自由」なわけだから、自由になりたければ(意思に従いたければ)そうすればいいだけの話ですね。「自由になれる・なれない」という表現もおかしい。自由は「なれる・なれない」ではなく、「する・しない」の話になります。

そして、「あの人は、自由に生きていて羨ましい」というフレーズは、「あの人は、自分の考えで生きてて、羨ましい。私もいつか自分の考えを持てたらいいな」ってことです。

自由は「どこかにあるもの」ではなく、自分の意志そのものなんだと思います。

環境がどうであれ、自分の考えと意思に従って行動している人は自由な人ですね。
一方、環境のせいにして「仕方なく従っている」と思っている人も、それを選択して行動しているという意味で自由な人です。
自分の意思がない人は不自由な人です。でも、「自分の考えを持たない」という意思があるのなら、その人も自由です。

結局、ほとんどの人が自由でしたね笑

書きながら思ったんですが、自由の質は自分が背負う責任で決まりそうですね。質の高い自由を望むなら、それなりの結果の責任を負わなければいけません。
これ以上書くとすげぇ長くなっちゃうから、今度メルマガに書こうかな。
(ぼくのメルマガは、商業出版を実現させるための情報半分、ぼくがビジネス書に書くような内容が半分です)

♪職業選択の自由あははん。職業選択の自由あははん。じ~ゆ~う、じ~ゆ~う

ぼくは「自由」という単語を聞くと、いつもこの歌を思い出します。どうでもいいけど、「あははん」ってなんなんでしょうね。