ぼくが最初に勤めたのは富士フイルム。2001年4月入社で、2003年11月末までいました。社会人1年目ということで、文字通り右も左もわからない状態で毎日が過ぎていきました。必死すぎてあまり記憶もありません笑 でも、この時の経験というか教訓が今にいきていることは間違いないです。その一つが、「プロの消費者にならないと」ということでした。

タダで自社商品を使うな

富士フイルムにいた時、写ルンですも写真の現像もタダでした。写ルンですはタダでもらえたし、現像もタダだったから、在籍中は写真にお金を使わなかった。会社としては「たくさん写真に触れて勉強するように」っていう主旨だったと思うし、ぼくとしてはとてもありがたかったです。

でも今から考えると、この時、写真にお金を使わなかったからぼくは写真業界で大成しなかったんだと思う。自分が作っている商品に対して、自分はお金払ってないんだから、そりゃ提供者として成功するわけないですよね。

どういう感じにしたらお客さんが喜ぶかも理解できないし、いまのお客さんがどこに不便さを感じて、どこに不満を持っているかもわからない。自分はタダで使っているから、仮に不便さがあっても気にしない。だってタダだもん。

要は、消費者としての目が育たず、消費者が本当に求めていることがいつまでたっても分からない。こんな状態だったら、いつまでたってもプロの提供者にはなれませんし、ヒット商品なんて生み出せるわけがありません。

ぼくの恩師は、自腹で写ルンですを買っていた

当時、ぼくの恩師は写真屋さんでお金を払って写ルンですを買い、写真屋さんでお金を払って現像していました。会社でやればタダなのに、わざわざお金払って「消費者」になっていました。彼はぼくにもそうするように言ってくれていましたが、ぼくはお金がかかるので嫌でした。そして自腹で写ルンですを買ったことはおそらく1度もなかったと思います。

ぼくがいた感材部は、富士フイルムの中心部署の一つでした(感材とは感光材料のことで、つまりは「フイルム」や「印画紙」のことです)。ぼくが富士フイルムを退社した後、デジカメの影響をもろに受けて感材部はなくなったようです。そして富士フイルムの中でフイルムを主に扱う部署がなくなりました。

でもぼくの恩師は「フジがアナログフイルムをやらずにどうする」と言い続け、孤軍奮闘で戦い続けました。本人は否定しますが、チェキや写ルンですが再びブームになったのは、明らかに彼の功績です。

彼はプロの消費者になっていました。だから、消費者が望んでいることがわかる。自分のお金を使わず、パソコンに向かって仕事をしていたぼくとは大違いです。そして彼は今や、写真業界の第一人者になりました。

見た目は愛嬌たっぷりで、ぼくもあだ名で呼んでるんだけど笑、彼から教えてもらったことは本当に大事なことです。その恩師とは今も定期的に飲みに行ってます。コロナが明けたらまた飲みにつれてってもらおう。